
ご存じの通り、2026年5月現在、キューバは米国との交渉を迫られる厳しい状況にあります。そんな中、Xに流れてきた一枚の写真に目が行きました。キューバの街の壁に「Patria y Vida」という文字が書かれています。
実はこれ、キューバのある有名な言葉にとてもよく似ています。「Patria o muerte」、祖国か死かと訳される、キューバ革命のスローガンです。
あれから70年が経ち、キューバの街には革命をもじったような言葉が現れました。「Patria y Vida」とは何なのか。それがどういう意味を持つのか。調べてみました。
- 「Patria y Vida」とは何か:若者たちのキューバ革命へのアンサー
- 「Patria y Vida」と11J:反体制運動のアンセム
- 「Patria y Vida」はプロパガンダか:変わる若者たちの意識
- まとめ
「Patria y Vida」とは何か:若者たちのキューバ革命へのアンサー
「Patria y Vida」は2021年2月16日に、キューバの首都ハバナと米国の都市マイアミのミュージシャンが合同でYouTube上に発表した楽曲です。
注目すべきはそのタイトルで、
Patria = 祖国
y = ~も(英語のand)
Vida = 命、人生、生活(英語のLife)
意味としては「祖国も命も」といったところでしょうか。
実はこのタイトルは、キューバ人ならだれでも知っている有名な言葉の裏返しになっています。その言葉とは
Patria = 祖国
o = ~か~。どちらか(英語のor)
muerte = 死
「祖国か死か」と訳されるキューバ革命のスローガンです。
革命のために命を懸ける(犠牲にする)という強烈なスローガンに対して、若者たちが「祖国も愛したいし、自分たちの人生も大事にしたい」と歌っているように私には思われました。
「Patria y Vida」と11J:反体制運動のアンセム
Patria y Vidaの歌詞
YouTubeに発表されるとたちまち「Patria y Vida」はキューバの若者たちの注目を集めました。
スペイン語の歌詞をAIに翻訳してもらいましたので、よろしければご覧ください。
雑な訳ではありますが、おおまかの意味を見ていただければと存じます。体制に対する批判もないではないが、だいたいのところは自分たちが置かれている状況の苦しさを歌った、というところでよいのではないでしょうか。
食料不足による空腹、観光客があふれるリッチな観光地とキューバから去る若者たちの対比、表現の自由を求める気持ち、弾圧。抑圧された今をとらえた言葉に、若者たちは共感を寄せたのだと思います。
事実、コロナ禍からキューバの社会情勢は一段と厳しいものになっていました。まず、観光客が激減したため外貨の獲得ができません。食料の大半を輸入しているキューバにとって、これは大きな打撃でした。
キューバは社会主義国家なので、配給制度が設けられています。しかしこの頃から配給される食糧の量が減り、人々はお腹を空かせて毎日を過ごすことが多くなりました。タンパク質が取れないという声もあります。
また、停電も頻発するようになりました。燃料の不足に加えて、設備のメンテナンスも十分ではありません。一説にはソ連時代の送電施設が「現役」であるともいわれています。
社会には不満が充満し、ついに大きな反政府運動が起きることになります。
11J・2021年7月11日の一斉蜂起
楽曲が発表されてから5か月後の7月11日、キューバでは複数の都市で同時に反政府デモが興りました。日付の11と7月(Julio)の頭文字をとって11J(オンセホタ)と呼ばれる運動です。
このとき人々は「libertad(自由)」という言葉とともに「Patria y Vida」を叫びました。
「Patria y Vida」はプロパガンダか:変わる若者たちの意識
キューバ政府は「Patria y Vida」を非難した
発表当初からキューバ政府はこの曲を強い言葉で批判しました。党の機関紙にも「これはマイアミの(キューバ政府を貶めるための)プロパガンダである」との記事が載ったようです。
米国のプロパガンダ。これを疑うのは仕方がないことでありましょう。何せ米国は過去何十年も中南米のあちこちで内政干渉を行ってきましたから。
しかし先にも述べました通り、生活の厳しさは確かにそこにあるのです。お腹すいたよね、観光用のホテルは立派なのにオレたちの暮らしは貧しいよね、自由に歌を歌いたいよね。そんなメッセージを、かっこいいミュージシャンがかっこいい音楽にのせて歌っていたら、共感するのは自然なことではないでしょうか。
革命を知らない若者たちとSNS
キューバ政府はマイアミに「逃げた」キューバ人のことをGusano(グサノ)と呼びました。虫けら、ウジ虫野郎といった、早い話が悪口ですね。
しかし少なくともSNS上では、国外のキューバ人と島内の若者たちが、以前より近い距離でつながっているように見られます。
よく、米国へ逃げたのはキューバ革命で既得権益を失った富裕層であると、こういう言い方がなされます。が、実際には革命後にも、生活の厳しさから逃れるために海を渡るキューバ人は少なくありません。
彼らにとっては故郷に残っている人たちは、かつての自分であり、同じ苦しみを味わっている「同志」のようなものでもあります。「Patria y Vida」製作者の一人もまた、同様にキューバを離れたうちのひとりでもあるのです。
革命の後に生まれ、革命を知らずに育った若者たちは、厳しい暮らししか知りません。
「Patria y Vida」は反政府運動を象徴する歌、「アンセム」などと呼ばれましたが、そこに込められているのは「お腹いっぱいご飯を食べたい」「好きなだけネットしたい」「クーラー使いたい」「外国旅行がしたい」「自由にものを言わせろ」「祖国も大事、そしてオレらウチらの命も人生も暮らしも大事」。そんな素朴な夢であるように思えます
まとめ
キューバといえば長く反米の姿勢を打ち出してきましたから、このたびの米国の圧力にはみんな怒っているのでは? そう考える方も多いかもしれません。もちろんそうした人もたくさんいます。これまでのこともありますし、不信感はそう簡単にはぬぐえないでしょう。
しかし、「オシャレしたい」「おいしいもの食べたい」「自由に憧れる」という若者も、確かに存在するようです。2026年に現れた壁の落書きには、そういう思いが込められいるような、そんな気がいたしました。
どうか平和的に、多くの人が幸せになる道が選ばれることを願うばかりです。